カテゴリ
- お手入れ
- 仕事
月別 アーカイブ
- 2020年8月 (1)
- 2020年5月 (1)
- 2020年4月 (1)
- 2020年1月 (1)
- 2019年12月 (2)
- 2019年9月 (1)
- 2019年6月 (1)
- 2019年5月 (1)
- 2019年3月 (2)
- 2019年1月 (2)
- 2018年12月 (2)
- 2018年11月 (2)
- 2018年10月 (4)
- 2018年9月 (3)
- 2018年8月 (3)
- 2018年7月 (2)
- 2018年6月 (3)
- 2018年5月 (2)
- 2018年4月 (4)
- 2018年3月 (3)
- 2018年2月 (6)
- 2018年1月 (5)
- 2017年12月 (1)
- 2017年11月 (3)
- 2017年10月 (5)
- 2017年9月 (5)
- 2017年8月 (9)
- 2017年7月 (10)
- 2017年6月 (11)
- 2017年5月 (10)
- 2017年4月 (12)
- 2017年3月 (18)
- 2017年1月 (1)
- 2016年11月 (1)
- 2016年10月 (1)
- 2016年8月 (1)
- 2016年7月 (1)
- 2016年6月 (3)
- 2016年5月 (4)
- 2015年4月 (5)
- 2015年3月 (15)
- 2015年2月 (9)
- 2015年1月 (10)
- 2014年12月 (4)
- 2014年11月 (5)
- 2014年10月 (1)
- 2014年9月 (4)
- 2014年8月 (3)
- 2014年7月 (1)
- 2014年6月 (3)
- 2014年5月 (6)
- 2012年1月 (1)
- 2011年11月 (6)
- 2011年10月 (9)
- 2011年8月 (1)
- 2011年5月 (1)
- 2011年3月 (2)
- 2011年1月 (6)
- 2010年12月 (2)
- 2010年11月 (2)
- 2010年9月 (7)
- 2010年8月 (2)
- 2010年7月 (11)
- 2010年6月 (11)
- 2010年5月 (21)
- 2010年4月 (19)
- 2010年3月 (20)
- 2010年2月 (22)
- 2010年1月 (23)
- 2009年12月 (27)
- 2009年11月 (3)
最近のエントリー
ブログ
< 夏の思い出 鹿児島 その1 | 一覧へ戻る | バラ風呂~ >
夏の思い出 鹿児島 その2
鹿児島旅行2日目。
まだ眠っている子どもたちを部屋に残し、
ホテルのバイキングをいただきましたが、おいしい。
手作りの和食が多く、ついつい食べすぎちゃいました。
子供たちも食事をすませ、いざ指宿へ。
途中に道の駅がいくつかあり、名産品をつまみ食い
したり、バラの花部分だけの詰め合わせを購入して
小学生の娘と「家のお風呂にいれようね」って
話したり、道の駅って立ち寄るだけでも楽しいですね。
指宿近くの道の駅横の公園?にて

麓しか見えない開聞岳・・・。

天気がいいと・・・。


そして指宿に近づくと、主人が「あー開門岳が見えない」
って、地理に詳しくない私は何のことか、何でそんなに悲しい
ことなのかサッパリ。
主人が言うには、「別名薩摩富士といい、非常にきれいな円錐形の
山で、小学生の時に家族旅行で見たときに感動した」とのこと。

天気がいいと・・・。

そんな主人の嘆きはさておき、目的地の「マンゴー園」に到着。
マンゴー狩りはできませんでしたが、採れたてのマンゴーがいっぱい。
試食をさせていただきましたが、甘くておしいい。


南国のフルーツをいただき、幸せいっぱいで出発。
途中、開聞岳が見えるスポットがあるらしく、主人が「そこから
なら見えるかも」って張り切って行きましたが・・・。
結果はご覧のように、晴れてるのに麓だけ・・・。


また今度来る目的を残したってことで、主人もあきらめ
次の目的地、「知覧」へ。
今回は、もちろん楽しい旅行、グルメや絶景などなどが
目的ですが、お盆という時期的なことや、子どもたちに
戦争の事を、実際の現場というか証拠がたくさん残っている
場所に連れて行きたい。という目的もありました。
市町村合併で、今は南九州市知覧町という住所の
知覧特効平和会館に到着。たくさんの来館者。
太平洋戦争末期、日本軍はアメリカ軍の本土襲来を防ぐべく
起死回生を狙い、アメリカ軍の軍艦への「特攻」という作戦に打ってでました。
特攻機や軍服など様々な展示品の中で、特攻隊員が残した
「遺書」が多数展示してあり、いくつもの遺書を読みましたが、
涙無くしては読めません。しかもうちの息子の同年代の
20歳代の方が非常に多く、家族特に母親や父親に宛てた
ものなど、とてもつらくて・・・。
というのは、文面に悲壮感などなく「国の為に笑顔で、喜んで
行きます」という遺書がほとんど・・・。遺影や仲間たちと写った
写真も笑顔・・・。
ある意味、当時は本当にそういう心境だったのかもしれませんが
やはり、「怖かったでしょう」「行きたくなかったでしょう」「死にたくは
なかったでしょう」と私は思ってしまいました。
そんな異常な時代、雰囲気、国のトップだけで決めた戦争に
国民全員が巻き込まれた昭和10年代。本当に平和の有難さ
子どもたちが飢え死にしない今の世の中に感謝、感謝です。
子供たちも一人一人何かを感じてくれたようです。
知覧を後にし、帰途につきました。
途中、揚げたての「さつま揚げ」を食べさせる店で、いろんな種類の
さつま揚げをパクパク「揚げたておいしいー」子供たちも
お腹いっぱい食べてました。
今回は、グルメ(ばっかり)、温泉、買い物、景観を楽しみ
そして、最後に日本人が絶対に忘れてはいけない歴史、繰り返しては
ならない歴史、語り続けていかなければならない歴史
を学んだ有意義な旅行でした。
(Rest&Care Market ふらわ~) 2011年10月 9日 18:15